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信濃屋インタビュー

アメリカに魅せられた10代の頃

おしゃれに関して、どんなこだわりがありますか、とよく聞かれるのですが、ちょっと答えに窮してしまいます。私はこれまでずっと、自分がいいと思うもの、その感じる心を大切にしてきました。あえて言うのなら、長く愛着を持って着られる服ということでしょうか。そうなると自然と、ベーシックなフォルムで、仕立てや素材にクォリティの高さが感じられ、それでいて着る人の個性をキラリと主張する、そんな洋服に惹かれるのです。

私はこれまで、紳士服というものに、一方ならぬ情熱を注いできました。それは持って生まれた性分かも知れませんし、育った土地柄や、時代、あるいは信濃屋との出会いが、私の人生をそのように導いたともいえるでしょう。

私は1937年に生まれ、小学2年生で終戦を迎えました。疎開先から戻った生まれ故郷の横浜は焦土と化していました。そんななにもない時代に、本牧を闊歩するアメリカ兵たちの、オリーブグリーンの軍の制服が、私の目にはたいへん印象的に映りました。子供心には敗戦国の負い目や敵国という意識はなく、ただ単純にアメリカ兵のカッコ良さが胸に染みたのでした。

それから中学、高校時代になると、さらにアメリカは未知なる憧れとなり、映画で見るシカゴのギャングのちょっと悪だけれどエレガンスなファッションに心ときめき、伊勢佐木町を流れるカントリー&ウエスタンと闊歩するアメリカ兵を羨望し、その魅惑的な空気が私のファッションへの興味へとつながっていきました。

高校を卒業して東京の学校でデザインの勉強をしていた頃、アルバイトで働くようになったのが、信濃屋との出会い。この店の魅力に取り付かれてそのまま社員となり、今日まで年月を重ねています。

お客様から教えられたファッションの真髄

横浜の信濃屋といえば、当時から老舗の洋品店として知られ、政治家から映画関係者まで、お客様はそれこそファッションに目ききの一家言お持ちの方ばかり。店で扱う商品も、それぞれにこだわりのある一級品ですから、二十歳そこそこの若造が簡単に売れるような代物ではありません。最初は「商品がわからないのに、お客様に売るな」と先代の社長に言われて雑用ばかり。でも、せっかく信濃屋で働いているのに、自分で商品が売れないのでは面白くないでしょう。そこで自分なりにもっと勉強をしようと、アメリカの「メンズウェア」など外国のファッション雑誌を買い求めては、いつも知識を貯えていました。英語はそれほど得意ではありませんが、ファッション用語だけはしっかりと頭にはいったものです。もちろん日本でそんな言葉を使っても、誰も知らないような時代ではありましたが……。こうして私がお客様に商品を直接売るまでには10年かかりました。

ただ、店員として恥ずかしくない知識はあっても、その上をいくお客様がいらっしゃるのが、ここ信濃屋の老舗たる所以でしょうか。こんな思い出があります。

いつもとてもダンディな着こなしをされていて、フラリと立ち寄られては、サッと好みのものを買っていく。それがまた、私たちをうならせるような品選びをする方がいらっしゃいました。

ある日その方が麻のスーツをお求めになられたのですが、そのときに私に向かって「白井君、麻のスーツというのはね、3年くらい着こまないと、本当の麻の良さが出ないんだよ。だから3年目の味わいを出すために、最初の2年間はムダに着るわけだよ」とおっしゃられた。私はこの言葉を聞いて、自分の装いを楽しむゆとりや豊かさ、しゃれ心とはなにかを教えられたと思いました。

このように信濃屋でのお客様との会話のひとつひとつが私にとっては勉強であり、その出会いを通して、ファッションの真髄を知ることができたのです。

我が愛すべきイタリアン・スタイル

私が現社長と初めて仕入のために海外へ渡航したのは1970年代のことでした。もともと私の紳士服の知識は、アメリカによって培われたようなものでしたから、やはり紳士服といえばアメリカや、伝統的なスタイルを守るイギリスに魅力を感じていました。ところが実際に各国を回ってみると、私の心を捉える出会いはイタリアにありました。

イタリアの紳士服もまた歴史と伝統があり、カッティングや仕立ての技術でみれば、とても優秀な職人さんが多い国です。また、デザインという視点から見ると、アメリカやイギリスなどのスタイルを消化しながら器用にファッションの流れをくみ取りつつ、独自のセンスが光る、色男の国イタリアならではの艶っぽさや美意識におおいに心を揺さぶられるものを感じました。

イタリアのフィレンツェで年2回開かれる服飾見本市は、世界中からバイヤーが集まります。私も86年から今日に至るまで、毎年欠かさずに足を運び、その年の流行をチェックしながら、自分の目で見て、確かなもの、いいものを選択しています。信濃屋として初めてイタリア製品を取り扱ったのが、ルチアーノ・バルベラですが、これはイタリアで私が自分の目で見て、これぞ、と思って仕入れを決めました。優秀なファクトリー(生産工場)やサルト(仕立て職人)との交流も、長い時間をかけて育んだ、互いの信頼関係があればこそ。こうした財産が、私の喜びでもあり、今の信濃屋を支えているともいえましょう。

心に触れる出会いを提供するために

ファッションに関する情報も、昔とは違いとても豊富になっていますから、最近のお客様は、スーツなどを選ぶとき、ブランド名や、値段をその基準にされる方が多いのは当然のことでしょう。しかし私はまず、その商品そのものを純粋な気持ちで見ていただきたいと思っています。デザイナーの名前や値段にとらわれるのではなく、自分の気持ちに触れるものをぜひ手にとって欲しい。

仕立てのよさ、素材の良さも含めて、本当にいいものには人を惹きつける輝きがあります。その魅力があなたの心に共鳴するような、そんな出会いをしていただきたいと思います。

歴史の長い信濃屋では、二代、三代と長くおつきあいをいただいているお客様もいれば、ここでスーツを選びたいと初めて足を運んでいただくお客様もいらっしゃいます。今も昔も、「信濃屋だから」と信頼していただけるお客様に、私たちの目で選んだ確かな商品をそろえることで、お客様に満足していただける商品をご提供することができる、それが信濃屋の守りつづけた伝統だと考えております。

さてこのたび、信濃屋 新・馬車道店がオープンいたしました。ここには、お客様の心に触れるような商品との出会いをしていただきたいと、私が世界各地をめぐって、選りすぐった商品を取り揃えておりますので、ぜひ足をお運びください。もしお時間がありましたら、私とおしゃれ談義の続きでもいかがでしょうか。(談)

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